山﨑

 

 もとよりギリギリの現代短歌と言いましても、何をギリギリとするか、歌人それぞれの、何を短歌とするか、短歌という枠組み、短歌とは何かを設定した上でご自身が設定するギリギリに対して追及する、越えるあるいは越えない作品として提示する。発行人としても一人の短歌を作る者としても見たかったというのがあります。それが今回、ギリギリがどのように反映されているか。短歌とは何かに迫れれば、根元論になってしまうのですけれど。それに迫れれば、達成できれば。今回読書会を開くにあたりまして、執筆者全員が今回読書会の対象の作品となっているわけでなくてですね、誌のなかの一部のかたの、作品を論じる形となっております。これは一冊の作品として完結している中で一部のかたを抜粋して取り上げるというのは非常に批評の公平性を欠くものでありまして、そのことに関しまして執筆者あるいは一冊の本として完結されているものに関しましてごく一部だけを扱うことは参加者に対しましても大変失礼なことであると思っております。これは私の責であると思いここにお詫び申し上げます。では、はじめたいと思います。

 

中島

 

 はい。前半が大体90分、そうですね三時くらいまでやらせていただいて、六作品を扱います。そのあと一五分程度の休憩ののち残り三名の評者を後半司会の滝本さんにお願いして、七名分の評をお願いしようと思ってます。そのあと、もちろん途中でも会場発言適宜やってはいくんですけども、一番最後に三十分程度時間を設けまして、皆さんから個々の作品でも構いませんし雑誌全体に関しても自由に討議をさせていただければなということを考えています。一応、念のため、この内容を後日冊子内でまとめる可能性があります、現時点で確定はしていませんが。そのために参考までに録音をさせてください。この点予め了解いただきたいというのが一点、録音したもののうち自分自身の発言が絶対載るのはやめてくれって方いらしたら挙手で教えていただいていいですか。はい、ありがとうございます。じゃあひとまず今いらっしゃる方に関しては後日採録する可能性があったらですけれども、あったら名前も載るかもしれません。ご協力ありがとうございます。それでは、早速会を始めていきたいと思います。じゃあ山﨑さんから。